映画に見る社会No.10 話題の映画から現代社会をウォッチング
【1】
小さな田舎町で暮らすもう若くはない男たち三人の生きざまを描いた『半世界』。タイトルは何を意味しているのだろうといろいろ想像しながら観始めました。
映画の舞台は山と海に囲まれた小さな町。場所を特定しないまま物語は始まりますが、やがて三重県の伊勢志摩あたりらしいと見当がついてきます。
この町で炭を焼いて生計をたてている紘(稲垣吾郎)のもとに、自衛隊を除隊し、帰郷してきた旧友の瑛介(長谷川博己)が現れます。
空き家のままだった自分の家に引きこもる瑛介の身を案じ、紘は自分の炭焼きの仕事を手伝わせることにします。
同じ中学からの友人・光彦は彼らにこう言います。「あのころの俺たち、たがいに等しい間隔をもつ正三角形みたいだった」
そんな関係が四十代を前に復活します。
【2】
映画の主人公たち三人のように、中学の同級生たちといまもつきあいが続いているなんてことが筆者にはありません。はじめのうち三人の関係になかなかリアリティを感じられなかったのが正直なところでした。
紘にはすでに妻(池脇千鶴)と中学生の息子もいます。息子は微妙な年ごろで父親に心を開こうとせず、同級生からのいじめも受けているようです。家族をもち四十代にさしかかれば、当然こんな問題にも直面するのでしょう。
五十代の筆者からすると稲垣演じる父親も若者みたいにしか見えず、わが子への威厳も感じられません。最近増えている「友だち親子」というやつでしょう。
むしろ下手に威厳などふりかざさないほうがいいのかもしれません。このごろは「躾け」のつもりで我が子を死なせてしまう親もいるし。
こんな「友だち親子」がこれからはスタンダードな形になるのかもしれません。でも紘が自分の仕事に没頭する姿には、父親という役割から逃げているような印象も伝わってきます。
中学生の子供がいながら自分自身も成熟できていない紘たちの世代。光彦のようにいまだに結婚していない者も珍しくない。
成熟からほど遠い大人たちの不完全な日常。それが作品タイトル“半世界“の意味するところでしょうか。
【3】
物語が進むにつれ、瑛介が自衛隊時代に負った心の傷が明らかになっていきます。
夜の港のシーン。入り江の先に見える対岸の街の灯が、瑛介の過去を知ると彼岸で燃える鬼火に見えてきます。
戦地を目の当たりにした瑛介のPTSDがこの映画の重要なモチーフのひとつだと気がついて、ニット帽とヒゲ面という稲垣吾郎の外見にこめられた意味もたちどころに判明しました。
この作品、瑛介と同じように戦場からの帰還兵を描いた名作『ディア・ハンター』へのオマージュでもあるのです。
チェーンソー片手に山林をゆく稲垣の姿が、ライフル片手に鹿を追ってさまようロバート・デ・ニーロに重なります。
【4】
戦場という外の世界を体験してきた瑛介は、生まれた土地を離れず暮らしてきた紘に告げます。「君たちは世間しか知らない。世界を知らない」。
この日常は世界の半分でしかなく、残りの半分を占める見えない世界がある、小さな世間の人間関係を守り続けるだけで生きてきた人間は、いつかその見えない世界から仕打ちを受けるのかもしれません。
ラストは紘の息子が現実を受け入れながらも、一方で夢をあきらめずにいることを暗示しながら終わります。
この息子にとっても日常は半分の世界でしかなく、もうひとつの世界でひたすら夢を追い続けていくのでしょう。
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written by 塩こーじ
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